ウッドベルツアーズ

日本軍、フィリピン戦史で、1週間   

2009年10月18日

今回は、あまりにも有名だが、記憶の薄れてゆく『戦争』特に、特攻という史実について考えてみたい。
私の様な、戦後生まれで、戦争を知らない世代に生まれた者が、特攻が行われた地で、安穏として、今、暮らしている。
多くを語らなかった、特攻隊員達の無念を、汲み取りつつ、特攻を生み出した日本特有のシステムや、日本人の精神について少し、触れてみたいと思い、書いてみた。
太平洋戦争を、論理的に検証すれば、白人優位(人種差別)に対する挑戦であり、資源を持つ国と、持たざる国の衝突であり、強国の抑圧に対する反撃と言う構図であった。
また日本の、上層部の(天皇、政治家、軍部)の情感においては、堪忍袋の尾を切った、戦争であったと思われる。
しかし、それにしても、国として、滅亡寸前まで追い込められ、貶(おとしめ)られた事は、愚かな事であると言わざるを得ない。
特攻にしても、『統率の外道』『世紀の愚考』と言って、切って捨てる事も、簡単なのですが!その、当事国の後継者として生きる私達が、汲み取らなければ、ならない『何かが』この、特攻には、あると思えてしかたないのです。
勝者アメリカは、全て正しく、特攻で死んでいったものは、全て犬死、本当にそうだったのか?
このフィリピンのクラークで、編成された、神風特攻隊に焦点を絞り、どのような経過をたどって生まれ、敗れ去ったか?
あらすじを、たどってみた。(参孝文献・特攻とはなんだったのか・PHP研究所)
また、この特攻(人間を、一個の兵器とみなして、敵戦艦に爆弾を搭載した、航空機により、体当たり攻撃をする)を命じられ、それに殉じた、若者達 (合掌)『狂気の沙汰』と、歴史の傍観者や、批判者としてでは無く!同、国の、先達者、先輩として、受け止め、自分が、その境遇に置かれたら、どうするだろうか?
その覚悟と、思いをもって、考えてみたいと思います。
何故、彼らは、決死を越えた『必死でも』飛んでいけたのだろう?と言う思いが胸に、残ります。
わが身に、置き換えてみると、結局、この『何故』の問いかけに行きつくのです。
戦後に生きる私達、先の戦争に映し出される日本人の姿は、現在を生きる私たちにも、受け継がれていると思います。
私事で恐縮ですが、私の叔父も、フィリピン沖で、輸送船乗組員として沈没船と共に、亡くなられたと、父から聞いております。
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