ウッドベルツアーズ

マニラから逃げ出した軍司令部   

2009年10月24日

太平洋戦争における、日本軍将兵は、誰でも皆、ここから逃げ出したかったのでは、ないかと思います。
しかし、悲しいのは、どんな卑劣な命令であっても、彼らのほとんどが、命を惜しまずに、戦った事です。
そうした、現場将兵の気概や、闘魂、強さでは、決して日本軍は、アメリカ軍には、劣ってなど、いなかったと思います。
だからこそ、敗北の責任というものが、軍事と政治の指導者には、厳に、存在すると、私は、思うのであります。
故に、指揮官は、何をしていたか?というのが気になりました。
ここに南方軍総司令部、司令官、寺内寿一元帥、という人がいました、彼は、元々サイゴンにありました。
しかし、山下泰文大将が、シンガポールを占領すると、シンガポールに移り、捷一号作戦の時は、フィリピンのマニラに進出していました。
10月23日、山下大将と西村参謀副長を呼び付け『ー命令が出たらやるんだー』そう大喝した、総軍司令官。
ところうが!!10日も経たない内に豹変し、レイテ決戦が始まった途端、司令部を、サイゴンに引き上げ、逃げてしまったのです。
しかし、彼が、どこに行こうと、一旦下した命令は、弾雨の嵐の間に挺身している兵士、一人ひとりを束縛し、戦い続ける、兵士の無益な命を、奪い取る事ぐらい、知っていた”だろうに?と、くやしい思いが、私の、心の中に沸きました。
もう一人、部下を見捨てて、逃げた男がいる。
第四航空軍司令官、富永恭次中将、フィリピンでの劣勢が、もはや挽回不可能となって、退却戦の局面に入った昭和20年1月。
山下大将の許可を得ること無く、無断で、突然、幕僚だけを伴って、台湾に、引き上げてしまった。
彼は、開戦以来、東條陸相の片腕として、次官を勤め、軍部の中心勢力をなしてきた人である。
この戦争の、重要な責任者の一人なのだ。
“諸君だけは殺さぬ、われらも必ず後に続くぞ”と、そういって、特攻隊を送り出した、当の最高指揮官なのだ!!
2人の指揮官が、怖がって逃げ廻っている最中に、死んでいった将兵の無念さを思うと、涙が出る。(合掌)
なお、誤解の無い様に、付け加えるが、司令官もいろいろで、けして卑怯な人達ばかりではない!
有馬正文少将、栗林忠道中将、小沢冶三郎中将、など、自ら先頭に立った人は、少ないけれど、あった!ことを付け加える。
海軍の神風特攻は、大西瀧治朗中将(戦後割腹自決)宇垣海軍中将(終戦の8月15日敵艦突入)で終焉を迎える。
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