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神風一番機突入せり(昭和19年10月25日)   

2009年10月25日

大西は語る、もう日本は、戦争を続けるべきではない、一日も早く講和を結ぶべきだ。
マリアナを失った今日、敵はサイパンから内地を爆撃し、帰還できる大型爆撃機を配備している。
今の、日本の戦力では、残念ながらこれを阻止できない、また重油ガソリンが半年分しかない。(中略)
半年後には、工場も飛行機も、戦車も軍艦も動けなくなってしまう。(中略)ガダルカナル以来一度として敵の反攻を食い止めたことが無い。
一度でいいから、敵をレイテから追い落とし、それを機会に講和に持ち込めば、敵に7分味方に3分の条件でできる。
具体的には、満州事変の昔に帰ることだ!ここまで日本は追い詰められているのだ。
日本を守る為にも、特攻を実施して、フィリピンを最後の決戦場にしなければならない!!
という、並々ならぬ考えを、高松宮と、米内光政海軍大臣に、伝え、内諾を得た、ということになっています。
捷一号作戦発動により、レイテ湾突入を目指す、栗太艦隊を支援する為、編成されたばかりの、神風特別攻撃隊は10月21日
4隊、24機が飛び立ちますが、悪天候に阻まれ、大和隊の隊長、久納好宇(くのうこうふ)中尉、以外の、全機が、帰還しています。
翌22日、23日、24日と出撃は、続くものの、悪天候にさえぎられて、目的を遂げる事が、できませんでした。
翌10月25日、関 行男大尉率いる敷島隊、爆装零戦5機と護衛戦闘機が4機付いて出撃し、スリガオ海峡で奮戦する西村艦隊玉砕日と、時を同じくして、スプレイグ少将率いる16隻からなる護衛空母群に、出会い、果敢に突入し、目的を完終、なしとげた。
アメリカ側の、発表による戦果は、護衛空母セント・ローは、飛行甲板に大穴を開けられ大爆発を起こして沈没、同じく護衛空母のカリニン・ベイ、ホワイト・ブレーンズ、キトカン・ベイ、の3隻も命中ないし至近爆発で、大破、中破、という損害を、与えている。
朝日隊、山桜隊、大和隊も、それぞれ突入し、護衛空母、サンチー、スワニーに、名中、大破させる戦果を上げ、これらを、大本営は、大々的に発表し、敷島隊指揮官だった、関 行男大尉が、軍神として祭り上げられる事になりました。
陸海軍の航空特攻は、レイテ沖海戦後も続き、昭和20年1月25日、クラーク飛行場から、ツゲガラオに移動していた第27金剛隊
(指揮官、住野英信中尉)が、リンガエン湾で、駆逐潜120号に体当たりし、撃沈したのをもって、フィリピンにおける神風特攻は、終わりを告げました、航空機部隊に、稼動できる飛行機が、無くなってしまったのです。
海軍特別攻撃隊の損耗は、搭乗員256名、突入機202機、未帰還131機と記録され、陸軍の損耗機は、突入機148機
未帰還機170機、自爆24機と記録されています。
米艦船の被害は、昭和19年10月から~昭和20年1月まで、で(特攻機、名中数)合計63隻となっている。
内訳は、護衛空母撃沈2、撃破18、戦艦撃破5、巡洋艦撃破8、駆逐艦撃沈3、撃破22、という報告もあります。
が、ただし、レイテ湾上陸作戦では、各種艦艇合わせて730余隻、米海軍の規模を考えれば、戦果はいわずもがなになります。
しかし、マッカーサー大戦回顧録によると、特攻隊により、パニックに近い状態が、アメリカ海軍内に一時的にせよ起った事は、確かなようです。
また、ベイツという海軍中佐は、日本の空軍が頑強である事は、あらかじめ知っていたけれども、こんなに頑強だとは思わなかった。
と語った事が、記述されて、います。
猛将ハルゼー大将は、11月から東京空襲を計画し、許可も受けていたが、特別攻撃が開始され、当面の作戦に多忙を極め
(神風攻撃の脅威のため、自前の、飛行機を、自衛の為使用しなければならず)レイテの、地上部隊の援護や、熱望した東京空襲は、見送くらざる終えなかったと記されています。
もし神風特攻が無ければ、数百万の東京市民は11月から、早くも米機動部隊の攻撃(空襲)に見舞われていたはず?です。
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