ウッドベルツアーズ

モンテンルパの夜はふけて   

2012年03月10日

題名は知っているし、歌も昔聴いたことがあるように思う!
しかし、この歌が出来た背景は何も知りませんでした が、ある人から史実としてその事を知らされました。
終戦から6年経過した1951年1月頃にフィリピンのこの地で、戦争犯罪人として14人の戦犯が死刑を執行された。
当時はキリノ大統領の政権時代であり、彼の奥さんや子供達は、日本軍に殺されたと言う一面を持っている。
フィリピンの戦後も混沌としており、戦争犯罪人を裁く裁判も ものすごくいい加減であったと言われている。
指差し裁判が行われ多くの冤罪が生まれました。
日本軍に協力したフィリピン人により(自分の罪を減刑する為)てきとうにあの人だ この人だと指を指され戦争犯罪人が捏造されたと言うのですそれにより 多くの戦犯が作り出されたのです。
(どうしてもフィリピン政府は戦犯を特定しなければいけない事情がありました!)
戦犯を作り出し 国民の怒りをそこに向け、日本国に対し戦争責任と賠償金を大きくする政策的な意図があったという!
それも不確実な証拠を元に 死刑囚となり収監されていた日本兵が 有期・無期合わせて108名いたそうです。
(その多く 半数以上が誤認や無実の罪だったと言われている)
しかし事の起こりの本質は、日本軍の無謀な侵略と謀略であり、多くの無益な血が流れた(太平洋戦争)は史実として多くの文献に載っている。
ここフィリピンでも 一時は西洋列強の白人からの開放と言う名文に、アジアの仲間として日本軍は好ましく受け入れられたらしい。
しかし半年もしない頃から、日本本土の物資困窮により フィリピンから日本へと多くの資源と物資を吸い上げられるようになり!
新たな侵略者・略奪者が 白人から日本人に入れ替わっただけであるとの認識から、多くの抗日ゲリラが出来上がった。
方や終戦 間近か、ろくに訓練もし無いで フィリピンの最前線に派兵された 一般日本人や 学徒達(あえて日本軍とは言わない)
補給路を断たれた日本軍の悲壮な戦いが繰り返される様になっていました。
結果はすでにお解かりでしょう、アメリカ軍に降伏した日本兵、捕虜になった日本兵、死刑因となった日本人。
そんな元日本兵を救った一曲の歌がありました、生と死の狭間で死刑囚により作られた この歌こそモンテンルパの夜はふけて という歌です。

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