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お客さんからフィリピンの国旗がほしいと言われた   

2013年06月24日

もう インデペンデンスディは終わりましたのでSMクラークに売っているかどうかは解りませんが?
なかにはいっているSMデパートで買えると思いますので聞いてみてくださいと ご案内をした。
今年の祝日はもう過ぎ去ってしまいましたが、6月19日 独立記念日であるこの日は。
マニラ・リサールパークにも記念塔のある ホセ・リサールの誕生日と同じ日です。
フィリピンの国民的英雄のJose Rizal. の生年月日は1861年 6月19日生まれです。
この日はリサールデーとしてフィリピンの国民の祝日になっています。
だが、この革命の象徴としてのホセ・リサールと言う人は、なぜ殺されなければならなかったのでしょう?
時代背景としては、ホセ・リサールは裕福な家庭で育ち、5歳で読み書きをマスターし、マニラの大学で測量、哲学を学び、スペインのマドリッドで医学を学び医師資格を取得しハイデルベルグ大学、パリ大学へも留学しました。
フィリピン マニラにある旧スペインの砦、イントラ・モロスの中にあるリサール記念館には眼科医としての彼の功績、私物や衣装、麻酔の道具、詩、などが展示されています。
そして、日本にも行った事があるそうで『おせい』さん と言う日本人の彼女(恋人も)いた事も展示されています。(日比谷公園には小さいそうですが胸像があるそうです)
更に語学の天才だった彼は、スペイン語、中国語、英語、フランス語等20カ国近い国の言語を理解したと言います。
その優秀な語学力の為、スペイン語による著書でスペイン圧政下に苦しむ植民地フィリピンの様子を描ました。
それが彼の捕らえられた最大の要因になった様なのです。
雑誌の創刊やプロパガンダ活動を行い、スペイン当局に目を付けられ捕えられ、マニラへ送致され投獄されたという事です。
処刑される前の様子もリサール記念館に展示されています。
では、一体どんなことを、彼は著書に書いたのでしょう?
フィリピンも、独立を果たさせてほしい!と訴えただけなのです。
それが当時の権力者には気に入らなかったようです。
投獄されたホセ・リサールは、祖国で処刑される事を選びました、なぜでしょう?
広く国民に知らせ、国民を鼓舞することを使命としたのかもしれません。
享年35歳の選択でした。
1896年フィリピン革命が勃発したその年の12月30日に彼は処刑されたのでした。
今のフィリピンは、彼の夢見たフィリピンになっているでしょうか?
フィリピンの独立した国旗は、そこかしこでたなびき、買うことも出来ますが!
独立は果たしましたが、本当の国民の解放、国民の幸福には、まだ遠いような気がします。
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